迷人の日記帳

鉄道写真の撮影、旅の記録、プラレールの改造について書いていきます

EF66 27引退に寄せて

こんにちは。駿河の迷人です。

ついに、月1回の更新を達成できず…仕事に忙殺されているうちに5月が終わってしまいました。

なんだかんだしているうちに6月も終わってしまいそうなので、とりあえず記事を書いておきます。これ以上不完全な記事を増やすな!と怒られそうですが、不完全でも書いておかないと、このブログ自体が立ち消えになりかねないので…何卒ご容赦くださいませ。

5月初旬、JR貨物から発表された吹田機関区公開のアナウンスに全貨物ファンが衝撃を受けました。

このたび定期運用を終えたEF66 27号機―。

さらりと事実上の引退が発表されたのです。

幾度の故障を乗り越え「不死鳥」とまで言われた現役最後のEF66 0番代。

検査切れが迫り、もう一度全般検査を通るか注目されていましたが、その夢はかないませんでした。

今回は27号機の引退に寄せて、拙作ではありますが、私の撮影記録とともにその活躍を振り返りたいと思います。


自身初めての撮影は2015年6月。全検明けの27号機が運用入りしていることを知り、朝早い時間から東静岡駅へ。初めて生で見る全般検査明け直後のゼロロクは想像以上にきれいで、一気に引き込まれました。


運用復帰後は八面六臂の大活躍!
この年の秋には毎年恒例の広島車両所公開PRヘッドマークをつけて走行しました。
ヘッドマークは上り方固定のため、この日はケツ打ちでHMの付いた姿を仕留めることに。今見返しても「よく止めたな…」と我ながら感心してしまいます。


今となってはEF210の仕業となってしまいましたが、東京~幡生を1泊2日で走破する5073レも撮影当時はロクロクの運用。雄大な富士山をバックに機関車交換・入替をするシーンを眺めることもできました。


代走でトヨタロングパスエクスプレスを牽引したことも。
学生時代だからこと撮影できた一枚、思い出深いですね…。


そしてゼロロクと言ったら外せないのが福山通運の54レ。往年の「富士はやぶさ」とほぼ同時刻に走るこの列車は27号機が入るとみんな大騒ぎでした。毎年1~2回の運用入りと、非常に少ないチャンスでしたがしっかりと記録することができて良かったです。


専用便と言えば西濃の「SS60」こと2059レも忘れてはなりませんね。
こちらも数か月に一度代走で運用入りして沿線を賑わせました。コンテナがブルーに黄帯・白帯ということもあって、かつてのブルートレインを想像するファンも多かったようで…
私個人は箱型クーラー付・ランボード灰色の27号機と往年の下関のロクロクは別物として認識していたので、なかなかこの姿からブルートレインを重ね合わせることができませんでしたが、夜間走行となる上り便の2058レを俯瞰で夜流ししたとある方の作品を拝見した時には本当に感動しました。写真の無限の可能性とそれを追求する大切さを学ぶことができました。

超レアケースですが、所定EF65の8862レに登板することもありました。
エスコートされる車両との唯一無二の共演に心ときめいたのは迷人だけではないはずです。


そして、27号機のみならず、すべてのゼロロク牽引貨物の中で最もお世話になったであろう運用が2079レです。コキ18両(うち3~4両はコキ200)と短く、最盛期の活躍を知る世代からすると物足りなさしか感じないような編成なのでしょうが、私個人はほぼ小豆で統一されたコンテナと国鉄色コントラストがたまらなく好きでした。
順光となる午後帯、しかも静岡貨物での荷役中に追い抜いてもう1回撮れるという点も非常に魅力的でした。


実は、県内最後の撮影となった列車も2079レでした。
吸い込まれるような青い空の下、ゆっくりと貨物駅へ入っていく姿は今も目に焼き付いています。

小学生のころ子供向け鉄道雑誌『鉄道おもちゃ』で「唯一の国鉄色」として紹介されてその存在を認知し、憧れ、追い求めてきたEF66 27号機。
幾度となく東海道を駆け抜けた国鉄最強の電気機関車、その最後の一機として、まさに伝説となるような活躍を見せてくれました。

夢をありがとう。さようなら。